【私たちの主張①】 国土交通大臣賞「建設会社と共に歩んでみつけた『宝物』」
2018/10/09業界動向
建設メール
◎佐藤孝義氏(河北建設、宮城県)
「よくぞ、ここまで頑張ってきたなあ。」
我が社が創立して、今年で50年が経ち、多くの政財界関係者を来賓として招いて、盛大に記念式典が行われた時の事。入社して間もないころの、右も左もわからなかった自分と重なり、胸がいっぱいで感無量になりました。
こうして会社が晴れの日を迎えられたのも、世間から「無駄な公共事業」と揶揄されて、その影響からか工事が激減し、仕事の無かった時代や、東日本大震災であろうことか、本社ビルが倒壊するなどで、幾度となく押し寄せた経営危機という荒波に、多くの知恵を出し合い、勇気をもって事に当たってこられた先輩方と、この会社に縁あって入社した、社員一人ひとりの、熱い努力の結晶だと思いました。顧みますと入社して36年、私を、一回りも二回りも大きく成長させてくれたのも、建設業の会社に勤めることが出来たからだと、とても感謝しています。
入社当時に配属されたダムの工事現場では、大自然と向き合っての作業でした。都会では味わったことの無いような季節感を間近に感じて、心地よく仕事する事が出来たのを、今でも鮮明に憶えています。春は、多くの高山植物がいっせいに咲き乱れ、まっさらで透明な雪解け水が、しずくとなって川に流れて、夏には、山の新緑がまぶしく、鳥たちが飛び回り、秋は、澄んだ夜空に満月が美しく、満天の星が降りそそぎ、冬には、肌を刺す厳寒な空気も、新鮮で美味しく感じられ、事務所の軒下まで深々と積もる雪も、野うさぎなど小動物の足跡が、ほっとさせてくれました。
こんなにも素晴らしい環境の中で、多くの仲間と一致協力して、コンクリート打設や型枠組立、原石山採掘での発破作業など、日々の作業を黙々とこなし、困難な工事にぶち当たっても、みんなの英知を結集して乗り切りました。
毎月1日の「山の神(安全祈願祭)」では、工事関係者全員で、無事故無災害を誓い合い、その後の直会は、ドラム缶を半分に切断し、その上に鉄板をのせて、スコップをヘラ替わりにし、豪快にバーベキューをして楽しみました。ある時は、熊がとれたからと、食わず嫌いの私に「佐藤君、一生に一度しか食べられない貴重なものだから」と言って、優しく熊肉を食べさせてもらった事もありました。
企業者、元請、下請、その時ばかりは役職関係無しに、いろんな職種の人と、飲んで食べて、コミュニケーションを図り、明日への活力を養った時の事など、他の職業では、絶対に味わえない事ばかりでした。
素晴らしい四季の移り変わりに癒されて、大自然の中で仕事出来る幸せを、建設業だからこそ、感じ取る事が出来たと思います。
又、震災復興工事の作業では、全てが多くのガレキで覆いつくされた被災地で、昼夜問わず懸命になってガレキを取り除き、辛く悲しい現場でしたが、現地復興して、被災住民からたくさん感謝をされました。
更地の上に、新たな構造物が出来上がってくると、それにつれて、人々の傷ついた心も、だんだん穏やかになっていく様で、建設業は、地元住民にとって無くてはならない存在になったと確信しました。私が建設業で培ったどの経験も、かけがえのないとても大切な「宝物」です。
ここ最近の建設業は、日々、目まぐるしく変わりつつあり、着実に「3K(危険・汚い・きつい)」から、脱却してきている様に思います。安全保護具の充実や、機械には、ヒューマンエラー防止のための装置が備わっています。
さらに働く人にも、完全週休二日制は当たり前、有給休暇完全取得奨励や、残業ゼロの推進、女性の現場進出に伴う更衣室の設置やトイレのウォシュレット仕様等々、何をいまさらと笑われてしまいそうですが、以前には、まったく考えられませんでした。環境や設備が時と共に、良い方向に整いつつあると実感しています。
しかし、さまざまな職業での雇用情勢は、売り手市場であると耳にしますが、超難関の試験を突破して、せっかく企業に入社したのに、仕事が自分に合わずに投げ出して、長続きせず辞めていく若者が多いと聞きます。一流大学を卒業しても就職もままならない、超氷河期と言われた時代を知っている私は、「もったいない事をしているなあ。」と思います。石の上にも3年と言います。何事でも長く続けるということは、とても大変な事だと思います。
たかが50年、されど50年、半世紀にわたって地域社会に根付き、ダム工事、造成工事などの大型工事から、震災復興工事に携わって、微力ながら社会貢献をしてきた、我が建設会社を誇りと思うと同時に、この会社で働ける喜びをかみしめています。そして、これからの多くの未来ある若い人にも、どんどん建設業の職場で、たくさんの経験を積んで、自身の手で自分の「宝物」をみつけ、この同じ喜びを、実際に感じて欲しいです。