【私たちの主張③】 土地・建設産業局長賞「夢を仕事に
2018/10/11業界動向
建設メール
◎津場一誠氏(橋本店、宮城県)
私が、建設業に興味を持ったのは、およそ十年前に遡ります。
当時中学生であった私は、陸上部に所属しており、1 年生のとき、初めての大きな大会である中学総合体育大会に出場しました。その際、試合会場であった「宮城スタジアム」(現ひとめぼれスタジアム)に到着し、スタジアム全体を眺めたときに身体に雷が落ちるほどの衝撃を受けました。こんなかっこいい建物が地元にあったのか。と感動して試合の終わり、観客席へ座り、夕日で真っ赤に染まったスタジアムをずっと眺めていました。
その時の光景は未だに脳裏に焼き付いています。元々建物が好きだった私はこのとき、「建物で人の心はこんなにも躍動させられるのか。」と感じました。そして、こんなすごい建物を建てる建設業に対し感動を覚え、このスタジアムを見たその日、建築の道に進もうと決断すると同時に、このスタジアムのように人の心を動かすことが出来る建物を建てる仕事をすることが私の夢になりました。
その後、大学では建築を学び、就職活動の為、資料収集をしている際、ある事に気付きます。私が通っていた小学校、受験勉強に励んだ図書館、自主トレーニングをしに毎日通っていた体育館、建築を学んだ大学。そして、私が建築を学ぶきっかけとなった宮城スタジアム。これらの建築物全てに携わっている会社が地元宮城にあるという事を。私はすぐさま、この会社の選考に募集し、幸いにも入社させて頂ける事になりました。
入社して最初の現場は消防署の移転改築工事で、工事中盤からの途中参加でした。配属から数日後に鉄骨の建方が行われ、鉄骨の上での鳶さんの颯爽とした仕事姿。鉄骨を吊る大きなクレーン、職長さんと打ち合わせをする先輩方。目にするもの全てが輝いて見えました。一方で、私の仕事ぶりはというと、知らないこと、物ばかりで、大学で学んだ知識とは違う様々な知識が要求され、何をすればよいのか分からず、与えられた仕事・言われた仕事を坦々とこなしていくというものでした。しかし、現場は進んでいき、現場は瞬く間に完成に近づきました。
残念ながらこの現場では完成までいる事は出来ず、別地域で始まった新しい現場へと配属されることとなりました。その現場は工期が短く、かつ金額的にも、当時会社では目玉現場と呼ばれていました。初日の仮囲い組立てから、めまぐるしく現場が稼動し、作業員さんの人数も乗り込み時期に比べ、百倍以上の人数になっていました。仕事はというと、夜中までの残業や早朝の出勤等、正直にとても大変できついと思う事ばかりでした。しかし、現場が最も忙しい時期に現場所長から「今が一番大変な時だ。あともう少しだから一緒に頑張ろうな。大変な現場ほど、完成したときの感動は大きいからな。」と声を掛けて頂き、その言葉を支えに日々仕事をしていました。
そして、最も忙しい時期を乗り越え、いよいよ引渡し日の前日、完成した建物の正面入口で共に仕事をしたスタッフが集合し、所長が「お疲れ様」とスタッフ全員に缶コーヒーを渡し、みんなで飲みながら、改めて我々スタッフ、作業員の皆さんで造り上げた建物を眺めました。その瞬間、所長が言っていた言葉の意味が分かり、つらかったことや、苦しかったことなどが全て吹き飛び、様々な思いが走馬灯のようにこみ上げてきました。
例え様のないこの思いは、私が中学時代に建築の道へ進もうと決意したあのスタジアムで体験した思いに似ており、この道に進んで本当によかった。と感じました。
建設業界は世間一般的に「きつい」「危険」「きたない」の印象が強く大変な業界といわれています。しかし、それだけではなく、夢や様々な物語が、かたちとしてその場所に残るとても魅力的な仕事です。なにより、十年前、私を建築の道へ誘ってくれたあの場所の工事に携わった会社で現在、私は微力ながら仕事に貢献できています。十年前に夢であった仕事を現在しているのです。私は、私のように建設業に魅了されて感じたあの思いを、これから先、私が携わった建物で他の誰かが感じてくれ、その「思い」が夢にかわってくれるような建物をこれからつくっていきたいです。