〈冬虫夏草〉 プラトン的考察
2019/12/17コラム
冬虫夏草
時代の流れに乗らなければならないと主張することと、いささか矛盾する感覚はあるが、言葉遣いやマナーについては一言、物申したいものがある。
「やばい」「きもい」「まじ」「ウケる」は万能な日常語となっているし、「それな」はやたら連発される。
さらに、語尾を上げ疑問形で話す人は女性に多いような気がするが、気になってしょうがない。
「私って、一人でいるのが好きな人じゃないですか。」と言われても、知らんがな。
「おけ」「くさ」「りょ」などはネット言葉であろう。
ただ、「言葉の乱れ」という価値判断を伴った概念は言語学には存在しないそうで、理由は、「言語は変化するのが当然であり、乱れでなく「変化」である」だそうだ。
無論、大人でも「重複」を『ちょうふく』ではなく、『じゅうふく』と言う人もおり、パソコンで変換する時も両方で変換する。
「早急」を『さっきゅう』ではなく『そうきゅう』と言う人も多い。
敬語で、「ら」抜き言葉になることまでは許せそうな気もするが。
それらは、指摘することさえ大人げないと言われそうな雰囲気さえある。
さらに、妙に気になるのが時間の表現だ。
「3分」は『さんぷん』であり『さんふん』じゃないだろう。
確かに「まじ」などは友人同士では使用しているが、「やばい」などは、言葉遣いの未熟さを感じてならない。
一部、東北弁や関西弁を使ったりと、数え上げればきりがない。
これらは、日本だけの話ではない。
「I eaten breakfast」と習ったはずであるが、今では「I had breakfast」が普通で、「eat」は古臭い言い方と感じる人もいるそうである。
ネット言葉では、「you」は「u」になるそうである。
言葉が「乱れ」ではなく、「変化」であれば、若者の文化の軽薄さと言うのは、老人の頑迷さかもしれない。
しかし、プラトンは、自分の弟子について「最近の若者は、なんだ。目上の者を尊敬せず、親に反抗。法律は無視。妄想にふけって、街であばれる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる」と言ったそうである。
ならば、今回はプラトン的考察?(語尾を上げてしまった)
寄稿者:冬虫夏草
長きに渡り、地方自治体における総合評価制度の実際の現場で評価に携わってきた
現在も総合評価制度を探究し、ゼネコンはじめ多くの建設企業から相談を受けている