〈冬虫夏草〉 読解力
2020/01/21コラム
冬虫夏草
このほど先進国などで構成するOECD(35カ国)は、79カ国・地域の15歳の生徒約60万人を対象に学習到達度について公表された。
同資料によると、日本は、「数学的リテラシー」が6番目で、「科学的リテラシー」は5番目と好成績を残した。
一方、読解力は、日本の成績は15番目(OECD35カ国中では前回6位から11位)で、過去最低となった。
この読解力の成績については、かなり順位が下がったこともあり、マスコミ等ではよく取り扱われている模様だ。
その中の論議において、「本を読まずに、ネット頼り」が読解力=理解力の低下だという論調が多くみられた。
OECDのうち上位だったのは、エストニアやカナダ、フィンランド、アイルランドで、感覚的には自然豊かで、色んな問題の結論を急がされない環境があるように感じられる。
ただ、日本の順位が下がっている事は悲しいことで、元来日本は、読解力は高かったはずである。
日本の文化において、和歌は長い歴史を持つ。
枕詞などの形式を踏まえつつ、定型の中に季節を入れ、掛け言葉をしたうえで、余韻の残る文言が構成される。
さらに、本来は返歌をしなければならず、読解力が極めて高くなければ成立しないやり取りだ。
ところで、小倉百人一首の最初の歌は「秋の田のかりほの庵の苫を粗みわが衣手は露にぬれつつ」で、読み人は天智天皇とされている。意味は『秋の田の側につくった仮小屋に泊まってみると、屋根をふいた苫の目があらいので、その隙間から忍びこむ冷たい夜露が、私の着物の袖をすっかりと濡らしてしまっているなあ』と言う風な意味であるが、天皇が農民の仮小屋で一夜を過ごすわけはなく、農民の生活を慮り、作った歌である。
つまり、民を思う優しい心が表れていす。歌であり、そこを読み解くのが読解力である。
ついでに、芥川龍之介のデビュー作でもある「羅生門」は、ごく普通の人が、強欲な老婆と会話し、影響され、その老婆から者を盗む、というストーリーだ。
飢え死にか盗人かと葛藤する一人の男の苦悩と、どちらにも転びえる、人間の弱さを示したものだ。
その作品は、何度か推敲されているが、最後の文章に「外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる夜があるばかりである。下人の行方ゆくえは、誰も知らない。」が後に加筆されている。
世の中の不確定さや暗闇を示すものだが、一つの余韻でもある。
寄稿者:冬虫夏草
長きに渡り、地方自治体における総合評価制度の実際の現場で評価に携わってきた
現在も総合評価制度を探究し、ゼネコンはじめ多くの建設企業から相談を受けている