〈冬虫夏草〉 花
2020/02/18コラム
冬虫夏草
しかし、万葉集や奈良時代の「花」は梅の方を指すことが多かった。
それは、中国で「花」と言えば、梅を指しており、当時の最先端文化と言えば、中国の文化であったからだ。
しかし、平安時代に入ると国家意識の高揚によるものだろうか、所謂『国風文化』が開花する。
文化的には、竹取物語、伊勢物語、源氏物語、土佐日記、枕草子などの現在にも残る名作が記され、貴族住宅は寝殿造の様式で建てられ、景観的にも日本独自の文化が花開いた時代である。
この時代になると、「花」を示すものは桜になる。桜は、稲作神事に関連していたともされ、農業にとり昔から非常に大切なものであった。
これは、桜の開花は、その木の性質上、気温を蓄積するものであり農業開始の指標とされた場合もあることも大きい。
農業国家であった日本にとって、重要な木であった事が伺える。
さらに、「桜」はそのあり様が日本人気質にあっていたということも言えるのではないだろうか。
平安時代にあっても、その時代のインテリであった菅原道真は梅をこよなく愛した。『令和』で一躍脚光を浴びた太宰府天満宮は菅原道真を祭っており、道真に愛された「梅」は彼の死後に太宰府まで飛んで行ったという、飛梅伝説を生んでいる。
暴論となるかもしれないが、インテリが「梅」を愛し、文学化的な人は「桜」を愛する傾向があったかもしれない。
「桜」を題材にした有名な詩歌は、紀友則の「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ」や、西行法師の「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」の歌は有名であるが、その他にも「桜」を題材にした詩歌は綺羅星のごとくある。
戦国時代においても、豊臣秀吉は醍醐寺に700本の桜を植えさせ、盛大な花見を催したとされる。
黄金の茶室なども作ってその方向性に疑問が残るものの、文化人の最先端を行こうとした秀吉が花見を取り入れたのは矢張り、桜の文化性にあるのだろう。
なお、江戸時代に入ると、河川堤防の景観と補強を兼ねて、「桜」が植樹された。
現代においても、河川堤防に桜が多いのは、遥か平安時代に花咲き、江戸時代を経た歴史の流れだと思うと、感慨もひとしおと言うものである。
寄稿者:冬虫夏草
長きに渡り、地方自治体における総合評価制度の実際の現場で評価に携わってきた
現在も総合評価制度を探究し、ゼネコンはじめ多くの建設企業から相談を受けている