〈冬虫夏草〉 忖度
2020/09/15コラム
冬虫夏草
次期総理・総裁が人事権を持っていることにより、公務員が忖度をするのではないかという議論が出てきている。
しかし、トップの意向を推察し起案することや、トップの指示に従い工程をこなすことの、どこに不味いことがあるのだろうか。
忖度しない社員だらけで、運営できる会社ならば経営陣はいらない。
内閣各大臣の指示に従う必要がないのであれば、政治家もいらないし、選挙も必要ない。
(ちなみに、2大政党による政権交代を野党は主張しているが、安保戦略が違う政党間の政権交代は、非現実的としか言いようがない。アメリカにおいて好戦的な政党は共和党賭されているが、朝鮮戦争やベトナム戦争を起こした際の大統領はいずれも民主党である。共産党と共闘する政党と安定的な政権交代とかありえないのではないだろうか)
ある候補は納得できる対話が必要であると力説しているが、それはそもそも間接民主主義の理論から外れている。
政治は複雑な相関関係の上に成り立っており、全てを解説することも、全てを満足させることもできない。
GOTOトラベルやGOTOイートが計画されても、GOTOパチンコがないのは、理論的帰結ではなく、世俗的判断からだ。
どれを選択し、どれを捨てるのかは、経営者や政治家が決めるべきもので、従わない部下は外され、目的にまい進する、とるべき責任は結果責任であり、最終的には選挙で結論が出される。
不偏不党であり、公正中立のはずのマスコミは、行為の不当性を追求すべきではあるが、選挙の結果としての体制に対して、批判することや、ましてや倒幕を堂々と主張することなどは、民主主義に対する挑戦である。
今、世界はかつての東西冷戦時代の再来の入り口に立っている。
しかも、地理的にはアジアがその舞台であり、軍事的危機すら感じさせるものとなっている。政治のかじ取りにより、大きく日本の未来は変わっていく見通しだ。
国会の論戦が「文書改ざん」や「桜を見る会」で時間を潰されるのを見るのは避けてもらいたい。「忖度」という曖昧な言葉で、指揮命令系統を台無しにすることは無しだあってほしい。
寄稿者:冬虫夏草
長きに渡り、地方自治体における総合評価制度の実際の現場で評価に携わってきた
現在も総合評価制度を探究し、ゼネコンはじめ多くの建設企業から相談を受けている