【私たちの主張⑤】 土地・建設産業局長賞「物作りの大好きな若者と未来を創ろう」
2018/10/15業界動向
建設メール
◎錦戸豪氏(ニシノ、岐阜県)
私は学生の頃、特別勉強が出来た訳でも無く、将来どのような職業に就くかも特に考えていませんでした。勉強は嫌いで、スポーツが好きなごく普通の学生。ただし、物を作る事に関しては、人より興味がありました。小中学校では図工や工作、高校では模型などを作ったりする時、時間を忘れて黙々と物作りをしていた記憶があります。そんな中、土木系の学校を卒業した為、訳も分からず建設業に飛び込みました。
やることは「現場監督」。配属先は若者のいない自分の親父より少し年上くらいの人ばかりの現場。20年以上前の話なので、現場監督とは言っても腰道具をぶら下げて、ツルやジョレンを振り回しながら測量したり写真を撮ったりの毎日で、覚える事が山のようにありました。杭を打ったり、高さを測ったり、写真を整理したり。毎日そんな事の繰り返しで何度もくじけそうになりました。でも一緒に仕事をする年配の方は私を息子のように厳しくも温かく指導してくれたので、仕事は楽しかったし少しずつ覚える事が出来ました。
入社から2年くらいたった頃、橋梁工事の現場に入ることになり訳も分からないまま先輩について工事を進めていました。橋台の鉄筋は入り組んでいて、図面は線だらけで何が何だか分からない。若いながらも現場監督の立場として現場にいた中で、私は鉄筋工の方にすごく叱られる毎日でした。現場監督ってこんなつらい仕事なの?って思う事もありました。工事も進み、いよいよ桁をかける日が来ました。前日先輩に「明日はクレーンを使って桁を吊り込むから楽しみにしてろよ」と言われ、やっと橋をかけるんだなぁって思いました。いよいよ当日、大きなクレーンで桁を吊り込むのを見てすごく感動しました。大きなコンクリートの塊が吊り上がる事、作った橋台に桁がぴったり収まる事。何もかもがすごいって思えました。すべての桁を設置出来た時に、若い現場監督見習いのくせに「俺が橋を架けたんだ!」なんて心の中で思ってしまったのは今でも先輩には言えません。かかった桁を歩いて対岸に行った時、初めて向こう側に来たような不思議な感覚だったのを今でも覚えています。子どもの頃、小さな谷の向こうに行きたくて重い丸太を渡して、渡れた時のようなそんな感覚でした。完成検査を受けて、引き渡しの時に発注者の方に「無事故できれいな現場を施工して頂き、ありがとうございます」と言葉を頂いた時には、すごく嬉しくて、苦労したこと、辛かったことは自分の中で帳消しとなりました。
がむしゃらに現場を進めている時は日々行っている作業、例えば杭を打つ、丁張を入れるなどが仕事だと思っていました。でもその時、もっと大きなスケールで仕事というものを感じることが出来たと思います。ああ、俺たちは橋を作っていたんだと。その橋は20年たった今でも立派にかかっています。とは言っても・・・実は20 mに満たないほどの小さな橋なんです。見習いの頃は本当に大きく見えた。今でもその橋を通るたびに思い出します。ここに現場事務所があって、ここで叱られて・・ここに立って桁がかかるのを見ていたなって。その橋はこの先また何十年もそこにかかっている事と思います。
この業界に飛び込んで23年目。時代はとんでもない速さで進化し、自分が仕事を覚えるスピードでは到底追いつけるはずもありません。電子化が進み、手作業だったことが機械化され、現場監督の仕事も大きく変わりました。しかしただ一つだけ変わらないこと。それは物を創るという事です。子ども頃に作った段ボールのおうちも、高校の時に作った橋の模型も、工事で山を切り開いて作った道路も橋もトンネルも全部物作り。規模は違っても作り上げる喜びと感動はどれも同じだと思うのです。
建設業における構造物の寿命は長く、未来に受け継がれていきます。維持補修しながら大切に使っていきます。建設業は未来を創る素晴らしい仕事です。苦労して終えた現場はずっとそこにあり受け継がれていきます。もし構造物が無くなったとしても、苦労した思い出と完成した時の感動は忘れない。しかし現在、建設業における若手の技術者不足は深刻な問題です。物作りの大好きな若者達、私たちと一緒に未来を創っていこう。自分の息子に、この道はお父さんが作ったんだとか、自分の孫にこの橋はおじいちゃんがかけたんだぞって言えるように。そうしたらきっとその子たちがまた、次の世代に受け継いでくれます。あと何年建設業に携われるか分からないけど、そんなころのさらに進化した建設業を出来る事なら私は見てみたいと思う。