〈冬虫夏草〉 “シボレテ”
2019/08/21コラム
冬虫夏草
日韓関係の最終的出口が見当たらない。
今のままでは、国同士が妥協しても国民感情として、韓流ブームが再来することは考えにくい。
日本は人口減少や国民的気質、将来の不安からくる貯蓄などの守りの姿勢から観ても、内需拡大による景気の上昇効果に対してあまり期待ができない。
だからという訳でもないだろうが、『観光立国』や『インバウンド』などの外的刺激による景気体側は重要な一面であった。
ただ、現在の韓国で行われている不買運動や民間交流の自粛は、メディアの取り上げ方かもしれないが、明らかに民主主義的ではなく、悲しい事態である。
一方、日本においては、韓国製品の店頭からの撤去なども寡聞にして聞かず、音楽フェスなどには韓国のグループに出演している。
しかし、このような状況が長引けば、『対立』の関係が固定化してしまいそうである。
『シボレテ』という言葉がある。
基本的には、特定の人種や民族などを判別するために用いられる試し言葉である。
だが、実際には古代イスラエルにおいて、紛争の際、ギレアデ人がヨルダン川を渡って逃げてくる人々にこの語を言わせて、「sh」の音が発音できなければエフライム人だと判断して殺害した。
確かに、正しく発音できなければギレアデ人ではないのかもしれないが、紛争相手のエフライム人だと断定するのも難しい事である。
だが、紛争(戦争)などのときには、冷静な判断ができなくなっているのであろう。
今でこそアメリカは強大な軍事力を持っている1国でしかないのかもしれないが、1960年代を頂点として、唯一の強国であり、世界の警察官でもあった。
その時代は“パックスアメリカーナ”と言われ、アメリカがその軍事力により世界の覇権をにぎっていた。
ベトナム戦争後さらに冷戦終結後は、世界各地においてテロが頻発し、アメリカは度々そのターゲットとなっている。
しかし、いくつかの例外はあるが、アメリカはその強大な軍事力を全面的に使う国は無く(多国籍軍として対処)、効果的報復に留めている。
大国というものはそうでなくてはならない。テロ発生地帯を火の海にする軍事力があっても、相応の対処をすべきである。
日本は民主主義国家であり、国家的対立はあっても民族的対立を起こしてはいけない。
『シボレテ』を発音できなければ、レッテルを貼るという行為は決して誉められたものではない。