〈冬虫夏草〉 移ろいゆく世界
2019/12/24コラム
冬虫夏草
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす」有名な一節は1200年頃に書かれたとされている『平家物語』だ。
約500年後に記された、松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭の「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」もある意味、移ろいゆく世界の漂泊感を現わしている。
石器時代は約1万年前、世界最古の文明と言われるメソポタミア文明が約5千年前だが、人類の1万年の文明の進歩の程度と、この100年の変化の具合をみると、加速度的に変化が進んでいる。
デジタルコンピューターが誕生したのは1940年で、またたく間に世界はボーダーレスになった。
ショルダー式の重い携帯電話の時代を知っている世代の方は、ポケベルで呼び出されていたことを覚えているだろうか。
RPA(Robotic Process Automation)はロボットによる業務自動化の取り組みを表す言葉だが、単に工場のロボットシステム化だけではなく、日常のルーティン業務を処理するソフトにも使われる。
AI技術も進み、ますます人間の役割がなくなってしまうのではないかという心配もしてしまう。
おかしい話だが、1811年のイギリスにおいて、ラッダイト運動が起こった。
これは、産業革命を迎えた同国の織物工業地帯に起こった機械破壊運動である。
それまでの産業品は「ギルド」で管理された熟練労働者によって支えられていたが、工業機械の誕生は、素人の女性でも自国で消費しきれないほどの工業品を作り出すことができるようになった。
職場を奪われた、または奪われることを恐れた労働者が機械を打ち壊したわけだ。
「ギルド」の労働者は時代の変化(技術の進歩)についてゆくことができないと感じたのだろう。
私は、この時代の急流を恐れる必要はないと思っている。
何故なら、一般的労働者でスマホを持っていない人は少数で、会社でPCを使わない人はもっと少数であろうと思うからである。
さらに、誰もが使うことができない技術が汎用性を持つことなどないのである。
建設事業はピラミッドの建設や治水事業のように、人間の営みがある限り、必要な事業であり、より専門性がある以上(素人が耐震基準を満たした建築物を建てるのは難しい)絶対に技術業界として残る分野である。
新しい技術を無理をしても採用しないということは、技術屋の頑なさと言うより、今更、電卓は使わずソロバンを使うと宣言するような、愚かさの様な気がする。
寄稿者:冬虫夏草
長きに渡り、地方自治体における総合評価制度の実際の現場で評価に携わってきた
現在も総合評価制度を探究し、ゼネコンはじめ多くの建設企業から相談を受けている