〈冬虫夏草〉 100年
2020/04/21コラム
冬虫夏草
新型コロナウイルスの影響で、自宅にいる時間が増えているのではなかろうか。
平日でテレワークを行わなければならない時は別にして、「こんな時にしかできない事」をやろうとしても、中々はかどらないものである。
ここは大きく、自分たちの立ち位置を知るべく、歴史を振り返ってみよう。
例えば100年前の1920年代はどんな時代であったのだろうか。
1920年代は正しく暗い時代だった気がする。
1920年代当初は日本は1919年までの日本は、第一次世界大戦の特需景気で国力が大いに伸びたが、1920年代に入るとその反動による戦後恐慌がおき、1923年には関東大震災が発生している。また、世界恐慌の発端となったニューヨーク市場大暴落は1929年だ。
東京では、西欧文化がもてはやされ、洋風建築物が次々と建てられている。
しかし、地方では、服装は着物で、茅葺の家が大半である。
暗い時代は政治的不安定さも起こし、治安維持法ができたのもこの時代だ。
今でこそ、外国人労働者が多少陰ったとはいえ、日本を目指しているが、当時はブラジルを始めとした移民が大々的に行われていた。
日本の食生活は改善されていたが、農家の小作人にとって未来は暗かったに違いない。
当時ブラジルはアメリカより端を発した奴隷解放運動により、労働力不足に陥っていた。
つまり、移民は奴隷の代わりだったのである。移民の方の苦境は推して知るべしである。
そういえば、食糧改善の証左は、脚気の流行に見て取れる。
脚気は江戸時代には「江戸わずらい」と呼ばれ、参勤交代で江戸詰をしている武士にみられ、地方に帰ると不思議と良くなったそうで、原因は白米にあった。
ビタミンB1の欠乏からくる脚気は1923年には死亡者数は約2万7千人にも上っている。
日本列島に文化を持った人類が確認されているのは、10万年前である。
縄文時代は約1万5千年続き、弥生時代は約600年続いている。
この100年の文化的変わりようは、正に劇的と言えよう。
変化のスパンが益々短くなっている現代では、50年もすれば現在は2昔となっていよう。
この新型コロナウイルスについても、騒ぎすぎだったと思える時が来てほしいものである。
寄稿者:冬虫夏草
長きに渡り、地方自治体における総合評価制度の実際の現場で評価に携わってきた
現在も総合評価制度を探究し、ゼネコンはじめ多くの建設企業から相談を受けている