〈冬虫夏草〉 縄文海進
2020/06/16コラム
冬虫夏草
縄文時代は、一般的に16,000年前から終期は概ね約3,000年前とされる。
また、最終氷期の約20,000年前の最盛期が過ぎると地球規模で温暖化に向かい、最後の氷期である晩氷期と呼ばれる約13,000年前から10,000年前の気候は、数百年で寒冷期と温暖期が入れ替わるほどで、急激な厳しい環境変化が短期間のうちに起こった。
この気候の変化などを起因として、日本列島の植生が変わり、約10,000年前までには、日本列島からマンモスやトナカイ、あるいはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型哺乳動物がほぼ絶滅してしまった。
最終氷期の最寒冷期後(約19,000年前)から温暖かにより、地上にあった氷河などがとけだし、海水面は上昇を始めた。
日本など氷床から遠く離れた地域で100メートル以上の上昇となり(年速1 – 2センチメートル)、ピーク時である約6,500年前 – 約6,000年まで上昇が続いき、日本は縄文時代であったことから「縄文海進」と呼ばれている。
日本は九州も四国も、北海道も一体化しており、北海道はロシアまで陸続きだった。
日本は対馬まで陸続きで、朝鮮半島についても、狭い海峡があっただけである。
現在はピーク時から海水面は約5m低下しているが、当時のピーク時の気候は現在より温暖・湿潤で平均気温が1 – 2℃高かったとされている。
関東地方においては、貝塚は内陸奥深くに分布することから、旧汀線はその付近にあると考えられている。
無論、これらには諸説あり、氷床の溶融による隆起と、逆に海水の増加が引き起こした加重による沈降で、沿海部が海側に引き込まれる現象により、海岸線が後退していったという説もあり、関東地域以外では、潮位の差は1m前後でしかないという説もある。
いずれにせよ、関東地域では重大な問題で、縄文時代には、横浜、川崎、市川、草加、越谷は海の中だった。
また、仮に海水面の上昇が1mだったとしても、全国の砂浜の9割以上が失われ、東京では江東区、墨田区、江戸川区、葛飾区のほぼ全域が影響を受ける。
そもそも、日本の0m地帯の面積は約580K㎡で、約400万人が居住している。
単純に逆算すると、平均気温が1 – 2℃高ければ、海水面は約5m高くなるのである。
これはコロナより恐ろしい、「いまそこにある」危機である。
寄稿者:冬虫夏草
長きに渡り、地方自治体における総合評価制度の実際の現場で評価に携わってきた
現在も総合評価制度を探究し、ゼネコンはじめ多くの建設企業から相談を受けている